すぅはぁ日記

食事、本、ラジオ、交流、エロなど日々の出来事。

6月8日 俵万智/穂村弘/はじめての短歌

今日からまた1週間が始まる。最近短歌に挑戦しようと思い、俵万智「考える短歌」、ムック本「現代短歌のニューウェーブとは何か?」、穂村弘「はじめての短歌」を購入。短歌というと思い浮かぶのは俵万智くらいで、五七五七七以外何も分からないのだがTwitterで短歌をツイートしている上坂さんという方は以前からなんとなく気にはなってはいた。先週上坂さんのTwitterブルーインパルスの歌を読んだき、ふと思いついたのだ。長年モヤモヤしていたものを解消できるのではないかと。

あまり人に言うことではないのだけれど、モト彼女や同級生の女子、キャバ嬢など女性との思い出を思い返すのが好きだ。暇さえあればぼうっと彼女たちのことを思い出して切ない気持ちになったりしている。

気持ち悪い。

本当は人に話したいのだけれど、年齢的にも人に恋バナなんて話せなくなってきているし、話せるとすればセコさんと飲んだ時くらいなのだが、セコさんには何度も話しているので聞く方もしんどいだろうし気を使いながら話すのも違っていて、なかなかこの欲求は満たされることがないのだ。とくにドラマチックな展開もない、普通の恋バナを聞いて欲しいという厄介な欲求を抱えている。でも短歌なら。そんな気がしてまずは入門書的なものを読んでいる。

穂村弘「はじめての短歌」については短歌の本というよりも人生の本だった。無意味にみえても人生を豊かにするようなことを「生きる」こと、意味があると言われるような利益や成果に繋がるようなことを「生き延びる」こととして。短歌は「生きる」ことを詠む方が良い歌になるということが書かれてある。「生きる」ことを詠んだ短歌とその解説をいくつも読むうちに自分の生活がいかに「生き延びる」ことしか考えていない生活だったかと思い知らされる。本の中に例えてとして出てくる「生き延びる」話として「目の前に火星人が出てきても今それどころじゃないからって言いそうだ」というのに激しく共感してしまった。俺はこれを笑えない、全然あり得ると思う。頭の中は日々のタスクでパンパンな生活のなか突然の入院。退院後からこのブログを始めたのも、急に短歌に興味が湧いたのも「生きる」を取り戻そうとしているのだろう。

 

最後に素敵な想像を本より少し引用、

 

今持っているものをみんな捨てて熱海とかに四畳半を借りて、そこで知り合った女の人とこたつに入ってミカンとか食ったらどうかなぁっていう想像とかをすることがあって。

その人にお惣菜屋さんで働いてもらって、ぼくが自転車で夕方になると迎えに行って、その日のお惣菜の残り物を貰ってもらって、それを二人で食べる(中略)それで「またコロッケかあ。なんでコロッケばっかり残るんだろうね」とか、自転車の後ろに向かって言ってみたい。

穂村弘「はじめての短歌」より

 

穂村弘。この本で初めて知ったけど、好きになった。